2018年10月9日。
あっちゃんへ、
フェースブックをチェックしたら、こんな通知がありました。
“You have a memory with Atsushi Fukada on this day”。
4年前、横浜国立大に留学した時、勉強や生活などのお手伝いをしてくれる日本人のチューターたちがいて、その中に、あっちゃんさんがいました。
名前はあつし、でもみんなは「あっちゃん」と呼んで、敬語を入れて「あっちゃんさん」。
正直、最初の印象は普通の日本人学生。(あっちゃんごめんねwww)
でも、話せば、話すほど、あっちゃんははすごい人だなと思いました。
自分が入学したとき、あっちゃんはもう3年生で、インターンなどで毎週滋賀(か三重、忘れたwww)へ行ってました。
それでも、横浜に戻るときはいつもジムに行ってました。当時の俺は筋トレの「マスター」だったので、二人で一緒に筋トレしたり、夜ご飯を一緒に食べたり、英語で言うと”best mate”で、親友になりました。

引っ越しの時にも、部屋を一緒に見に行ってくれたり、車のレンタル、荷物運びのお手伝い、電気やガスなどの開始、買い物の手伝い、すべてあっちゃんがやってくれました。あっちゃんがいなかったら、たぶん峰沢を出た後も、大岡でまた3年間、寮で住むつもりでした。
そしてあっちゃん経由でほかの友達もたくさんできて、みんなで一緒にドライブに行ったり、宿泊したりしました。一番思い出になったのは「リア充の旅」。いつも間違って「リジュウ―アル」と言ってしまいました。
あっちゃんは俺にとっての筋トレパートナー、親友、引っ越しのアドバイザー、そして、大切な大先輩。普通、4年生なら就活、卒論や、インターンなどでいっぱいなのに、俺ら後輩たちといつも一緒に遊びに行ってくれたり、座って、後輩先輩の話をしたり、色々アドバイスしてくれたり、本当に、素晴らしい先輩でした。
正直、俺はあっちゃんにすっごく憧れて、俺が4年生になったら、あっちゃんさんみたいに、俺も、後輩たちと仲良くなりたいと思ってました。そして105を引退した後も、105に日々遊びに行ったり、1,2年と仲良くなったり、パーティーもたくさんやったり、そしていつも「105にあっちゃんっていう素晴らしい人がいるよ」と後輩たちに言いました。
あっちゃんが大学を卒業し、ハバーで働き始めたちょうどその時に俺もいきなりの病気で、連絡もあまりとれなくなってしまいました。
2017年の8月にアパートの契約問題で久々に会ったときにあっちゃんは「俺は来年の10月にジャズミンと結婚する」と報告してくれました。
それを知っているのに、帰国の時もあっちゃんに何も言わないまま、ベトナムへ帰ってしまいました。正直、もう一回会いたかったです。でも、あっちゃんも結婚の準備で忙しいし、俺も帰国の準備でばたばたしてしまって、、
夏休みからあっちゃんに連絡を取ろうと思ったのに、気づいたら会えないまま帰ってしまいました。
フェースブックであっちゃんとジャズミンがイギリスで結婚式をあげた写真を見ても、ただ「いいね」と押しただけでした。
実は、あっちゃんは俺にとって本当に特別な存在で、あっちゃんにはこういった、長い文章を書きたいと思ってました。
そして、ここで改めてあっちゃんに伝えたいことがあります!
あっちゃん、遅かったけど、
ご結婚おめでとうございます!!ジャズミンとずっと幸せでありますように。
お世話になりました!あっちゃんのおかげで、いい部屋を探せ、いい話を聞かせ、いい旅を体験させ、本当に色々でありがとうございました!
なんの連絡もしないまま、帰ってしまいました。ごめんなさい。
俺はこれからずっとハノイです。
でも、将来はまた日本に行きます!。その時は、可愛い赤ちゃんを抱っこさせてください!
そして、二人においしいご飯を作ってあげます!。
約束で!
キラより